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時間を刻む


こっくりこっくり眠ってしまいそうな速さから、猛スピードで走る速さまで、自在に時間を刻むメトロノーム。けれど、生きるのにほど良い速さというのは、お仕着せではなく自分で自分の身をもって見つけるしかない。その手がかりは鼓動にあるようだ。身体を横たえじっと心を落ち着けると、それは身体の中を駆け巡る規則正しい波となり、すみずみまで行きわたる。実のところ、自分の身体が刻んでいる時間を意識することは、生きていることを実感することに他ならない。

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照らし出す


暗い場所を灯りをもって照らし出すと、照らされた場所が明るくなる一方、照らされない場所が一層暗く感じる。照らさなければ気にならなかった暗さが、余計に暗く感じるのは時に不幸を招くらしい。何かにスポットを当てるということはそれ以外を切り離し明確に差別化を図ることに他ならない。

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まぶしいな


灯りのない暗い夜道は困る。かといって、目に直接飛び込んでくるほどのまぶしい灯りは、かえって周囲を見えなくしてしまうからよろしくない。ほどほどというのが、実はなかなかむずかしいということは、わかっているのだが。

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最後はサイコロ


あっちかな、いやいや、こっちかな、いや、やっぱり、あっちかな・・・などと、迷いはじめたらキリがない。どこかでエイ!と決めなきゃいけないのだが、そんなとき昔から使われてきたのがサイコロ。どちらが出ても恨みっこなしよ~と言い聞かせつつ、決めた後もぶつぶつ言うところがいかにも人間らしいところ。でもこの場合、悪いのは自分じゃない。サイコロがそう言ったんだから、と自分以外のせいにするにはもってこいかもしれない。

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やっちまったみたい


あーあ、車でごつんとでも当ててしまったのだろうか。道の三叉路に設けられていたはずのミラーが根元で折れ鏡が割れている。果たしてこのミラーが最後に映し出したのは何だったのだろうか。

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ふわふわ


またまた冬に逆戻り、とはいえ、ひととき春の風に誘われて、気持ちもふわふわ軽くなる。綿毛が風に舞い上がり、空中に漂うときって、こんな気分なのかな。

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コーラにレモン


喫茶店や食事処でコーラを頼むと、氷とスライスレモンの入ったグラス、それにビンのコーラ出てくることがよくある。小さい頃はこのレモンの存在が不思議だったが、かといって避けていたわけではなく見た目もきれいで味も少しさわやかなだなと思いながら飲んでいた。もちろん、レモンフレーバーのコーラが登場して一番に飛びついたことは言うまでもない。

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菜の花畑


菜の花独特のぷぅんとした匂いに誘われて、ハチたちが花に戯れる。まばゆいばかりの黄色に誘われて、人間たちが花に身を泳がせる。ほうっておくと心の中まで黄色く染まってしまいそう。あたたかな陽気にほだされて、落ちていた心もふわりふわりと浮き始める。

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桜咲く


寒暖の差が激しく、最後の最後で花の開きが鈍った河津桜ではあるが、ここにきてようやく濃いピンクの花を一気に開き始めた。ここの桜は、咲くとすぐに散り始めるソメイヨシノ系ではなく、力強く咲き比較的長持ちする種類のものであり、初めて見たときは桃の花かと思うほどの強い色を感じたものだ。一足先に春の空気を吸い春の香りを楽しむ贅沢は、一度知ったらなかなか止められそうにない(笑)。

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放置自転車=粗大ごみ


いくら撤去してもあっという間にたまってしまう自転車。駅前の放置禁止区域には歩行者の通行の大きな妨げとなる放置自転車が後を絶たない。自転車が歩道を占領して車道を歩かざるを得ない歩行者が車にひかれそうになる、とか、並んでいる自転車がはずみでバタバタ倒れてきて歩行者が怪我をする、というのはかなり現実レベルの話である。みんなが置いてるんだから、自分一台分ぐらいいいじゃないか、という一人一人の甘えがそうさせるのだろうか。区によっては、その撤去処理代金を鉄道会社に負担させることを決めたり、駅前に見張りを置いて、自転車を置かせないようにしたりと工夫をしているが、抜本的解決には至っていない。いっそのこと、放置自転車=路上粗大ごみと定義し、鉄業者に自由に持っていってもらうのが良いのかもしれない。

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映るもの映らぬもの


鉄道にはいろんな信号やら標識があって、どれが何を示すのか、普段乗降しているだけではなかなかわからないもの。この表示も、私が気がつくときにはいつも点灯していて、パターンに種類があるわけでもない。光っている部分と、人間の目で言えば上まぶたの内側に相当するところに映っている部分の光に違いがあるのも面白いなぁとは思っていたのだが…と書きながら、ここにこの写真をアップするにあたり、鉄道の信号やら標識といったキーワードで検索してみたらわかった。これは、車掌が出発信号を見にくいときに代用して見ることのできる「出発反応標識」というもので、出発信号がOKであれば常に灯っているものらしい。だからどうということもないが、疑問がクリアになるのは気持ちが良い。

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はじける前に


つぼみの中に力をぐぐっとためて、一気にはじける時を待っている。もう少し、あと少し、内部にはちきれんばかりのパワーをためているのが、毎日見ているとよくわかる。あちこちでぱらぱらと小爆発を繰り返すのではなく、きっとはじけるときは一斉にいくのだろう。

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おひなさま


節分、バレンタインデーが終わったと思いきや、早くもおひなさまのシーズンに突入だ。箱から出てうっすらと微笑みを浮かべたおひなさま。うちも早く出してやらないと。

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ちょっとしたコピー


グラスが空く。グラスが下げられる。コースターがひとりぼっちになり「おかわりいかが?」とたずねてくれる。ほんのちょっとしたコピーなんだけど、もう一杯もらおうかなと思ったことは事実。本当は、こちらが空くか空かないかと時にさりげなくお代わりを尋ねられるのが一番いいとは思うけど。

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おしながき


店頭に貼られた手書きのおしながき。ずらりと並ぶ日本酒の一升瓶。こんなお店で親しい人とのんびりすごしたいものだ。ささやかな、しかし、なかなか叶えることのできない私の希望の一つ。

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火の点く前に


ロウの白いパウダーがぎっしりと敷き詰められているロウソク。火を点けたならきっと、豊かな一筋の炎をゆるゆると長くつないでいくことだろう。けれど、一旦火が点いてしまうと、後はパウダーをつぎ足さない限り必ず終わりがやってくる。少しずつ、少しずつ、炎を絶やさぬよう生き長らえることの難しさを思うと、火の点く前というのは希望に満ちあふれているようだ。

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普段買わないもの


話題の芥川賞作品を読みたいなぁ、でも単行本買うほどのものかなぁ、と思っていたら、「文藝春秋」の最新号にそれが全文掲載されている、とのこと。書店でどどーんと平積みされていたそれを手に取りレジに並んだ。ふと辺りを見渡せば、若い女性たちがこぞって持ち慣れない雑誌を手にしている。書店はといえば、何も言わず文庫や単行本でもないその雑誌にカバーをかけるという対応ぶり。これには正直笑えた。

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光のゲート


「夢を見よう。そして夢は必ず叶うと強く信じよう。さあ目を閉じて。心の中に夢を描こう。夢は叶う。さあ目を開けていいよ。・・・」言葉だけを聞くと、一体どこの宗教だろうと思ってしまうが、これはいわゆるミッキー教。開園20周年を迎えたディズニーランドは、手を変え品を変えゲストをひきつけてきた。その中でも一貫しているのがこの「夢は叶う」というテーマである。冬色にライトアップされた光のゲートをくぐりながら、果たして私は今までどれぐらい夢を描き夢を叶えてきたかと思うと涙がこぼれそうになった。

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おへそ


おへそ、といえば、「へそで茶を沸かす」ということわざを一番に思い出す。どうやってお茶を沸かすんだろう、なんて初めて聞いたときにはピンと来なかったのだけど、「お腹の皮がよじれるほど笑い転げることだよ、その摩擦で熱が出て・・・」と熱心に教えてくれた先生がいたっけ。嘘か本当かは別にして、おかげでこの意味だけは鮮明に覚えることができた。さて、最近はへそで茶を沸かすことがなくなったなぁ、と思うと何だか寂しい。

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羽を背につけて


休み明けの月曜日はどうしても身体が重い。せめて心だけでもふわっと飛ばしてやりたいなぁ、と思っていたら、金色に輝く天使の羽根を発見、ひょいと取って背中につけてみたくなった。これぐらいしっかりした羽だったら、イカロスまではいかなくとも、地面に貼り付いた私を上から眺めるぐらいには飛べそうだ。

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present from can/goo


結成当初からかれこれx年。サナギがアゲハになるかのごとく、大きく成長してきたバンド「can/goo(カングー)」。2002.11にメジャーデビューを果たし、今夜のワンマンライブでは収容300人を超す勢い。アニメの主題歌を歌っている関係で、男性ファンもぐんと増加。バレンタインデー直前ということで、ハートのグラマラスなチョコと、ロゴ入り黄色いハンカチが本日のプレゼントでした。だんだんと手の届かない人になっていくのがちょっぴり寂しいけど、これからも、もっともっと大きく力強く羽ばたいてほしいと願っています。→http://www.sky.sannet.ne.jp/cangoo/

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踏むところだった


本物の虫が居たわけではないのだが、つい踏みそうになってぎょっとした。防虫剤の広告が売り場の床にあったのだ。案内表示が床にあるのは珍しくないが、これほどインパクトのある広告ははじめてだ。衣服を食っている虫の絵、これがなかなか強烈だ。きっとテレビのCMだったら驚きもしないけど。

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捕まった


し、しまった、捕まってしまった。食虫花に捕らえられたハエは、そこから抜けだそうともがいてはみるものの、それが無駄な抵抗であることを知り、無念そうに、あるいは、諦めの境地にある。してやったり、とは捕まえた側の食虫花。虫を引き込み自分の中で溶かして行く。一見残酷であっても、それが自然の摂理なのだ。

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信じてはいけない


子供に「人を信じてはいけない」と教えなければならないのはとても心苦しい。けれど、そうしなければ自分を守れない時代になってしまったようだ。このところ、毎日のように、辺りで小中学生を狙った物騒な事件が続いている。しかも犯人は捕まっていない。このため、子供を持つ親や先生は、ピリピリせざるをえない状況が続いている。知らない人の言うことを信じてはいけない。ほんの一握りの悪いやつのために、すべての知らない人に対し冷たい態度をとらざるを得ないことを、本当に申し訳なく思うと共に、人と人との壁がまた一段高くなってしまうことを憂うばかりだ。

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集計表


何でもかんでもIT化。コンピュータがすべてやってくれる。売上はバーコードなどからコンピュータにインプット、集計表はスプレッドシートにずらりと自動計算…ITを売り物にしているIT屋はついそんなことが当たり前だと思ってしまう。しかし巷にはまだまだ手書きの日計表、集計表が沢山存在していて、コピーした指定フォーマットにその日の売上数を正の字から拾って単価をかけて売上を書いているのをよく目にする。身近なところでは、タクシーだって乗車実績を毎日毎回手で書きつづっているのだから。私の常識はみんなの常識なのだろうか?まずは疑ってかかった方が間違いが少ないようだ。

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豆のあと


鬼は外、福は内。豆を撒いたら翌日は立春。春のぬくもりを少しは感じたいものだが、天気予報によれば残念ながらまた寒さが戻ってくるようだ。果たして天があまのじゃくなのか、二十節気と気温の関係を直接結びつけることに無理があるのか。ちなみに次の区切りは雨水(うすい)と言い、氷が解け始める頃を言うそうだ。

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セルフの勝ち


幹線なので決して珍しいことではないのだけど、50mと隔てないところに、通常のガソリンスタンドとセルフサービスのガソリンスタンドが並んでいた。いつもレギューラーだとリッター2円差での価格表示。セルフのスタンドがあまり馴染みないということで、並んだ当初はセルフに入っていく車はまれだった。あーあ、日本じゃやっぱりだめなのかと思えたが、数カ月後から、通常の方には車の入っている姿が見えずセルフがそれなりに潤っている状態をよく目にするようになった。そして今日、通りがかったら通常の方はクローズとなっていた。

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君の行く道は


憑かれたように週5日通っていたのは、もう十年も昔のことだ。今も同じ場所にあるその店は、十数年たった現在でも隠れ家と呼ぶにふさわしい雰囲気を保ち続けている。バイトの面々が変わり、訪れる客も変わっていく中、私も大切な人をここに何人となく招き入れてきた。私の大事な場所、そしてそこに求めるものは、これからもきっと変わらない。

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節目


ものごとには、日々分け隔てなく淡々と過ぎていくこともあれば、ところどころに節目のあるものもある。節目になると、そこで何か自身や環境の変化が起こり、どっさり鬱積するものがあったり、あるいは溜まったものがドーンと爆発することもある。そんな節目をいくつも経て、人は生きてきているのだと思えば、自分はそこいらに転がっている石ころの気分になれる。

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